割引 大型図録本実物大写真51点白天目茶碗菊花天目瀬戸黒黄瀬戸志野卯花墻鼠志野茶碗黒織部伯庵茶碗側面高台大名物中興名物在銘箱書解説茶道美術

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★商品説明★
和物茶碗を代表する名碗のフルカラー実物大写真を51点収録。 和物茶碗のうち白天目茶碗、菊花天目茶碗、瀬戸黒茶碗、黄瀬戸茶碗、志野茶碗、鼠志野茶碗、黒織部茶碗、赤織部茶碗、伯庵茶碗の、国宝を始めとする、大名物・中興名物など、滅多に見ることのできない個人蔵の作品を含む、和物茶碗最高峰の名品ばかりを集めた大型愛蔵版図録本。巻末に全作品の寸法比較表も収録。 箱書き、見込みなどの写真他も参考図版とした各茶碗の見どころの詳細な解説、茶碗についての断面図も含めた概説。 写真図版も解説図説も内容充実、茶道具、古美術、茶道家、茶道学習者、骨董品愛好家必携の大変貴重な資料本です。 平凡社の豪華愛蔵版大型図録本「茶碗」全5巻(定価78,000円)のうちの一冊。

【目次より】 白天目茶碗 徳川美術館 大名物 重要文化財 菊花天目茶碗 藤田美術館 中興名物 瀬戸黒茶碗 銘 小原木 瀬戸黒 銘 小原女 瀬戸黒 銘 冬の夜 瀬戸黒 銘 有明 瀬戸利休 利休瀬戸 銘 万歳 黄瀬戸茶碗 銘 朝比奈 黄瀬戸 銘 難波 黄瀬戸 黄瀬戸 畠山記念館 志野茶碗 銘 卯花墻 国宝 志野 銘 羽衣 志野 銘 広沢 志野 銘 朝萩 志野 銘 朝日影 志野 銘 初音 常盤山文庫 志野 志野 銘 通天 志野 銘 亀のをの山 志野 銘 住吉 一名 五条橋 志野 銘 牛若 志野 志野 銘 おく山 志野 銘 朝陽 藤田美術館 志野 志野 銘千石 無地志野 銘 卯の花 鼠志野茶碗 銘 峰紅葉 五島美術館 鼠志野 銘 山端 根津美術館 鼠志野 畠山記念館 鼠志野 鼠志野 銘 さざ波 鼠志野 銘 通天 鼠志野 練り上げ志野 銘 猛虎 織部筒 黒織部茶碗 銘 冬枯 徳川美術館 黒織部 銘 松風 黒織部 銘 やぶれ窓 黒織部 黒織部 銘 柾垣 赤織部 銘 山路 赤織部 伯庵茶碗 本歌 中興名物 伯庵 銘 宗節 伯庵 銘 冬木 五島美術館 中興名物 伯庵 銘 朽木 五島美術館 中興名物 伯庵 銘 土岐 藤田美術館 中興名物 伯庵 銘 黒田 解説 荒川豊蔵 小山冨士夫 田中作太郎 林屋晴三 藤岡了一 満岡忠成 概説 林屋晴三 寸法比較表
【凡例より】 本巻は、平凡社刊『茶碗』全五冊(中国・安南、朝鮮一、朝鮮二、日本一、日本二)のうち、「日本 一」とする。収録した茶碗は五十一点、和物茶碗のうち天目、瀬戸黒、黄瀬戸、志野、織部、伯庵にあたる。
原色図版は、側面と高台を、見開きで掲載したが、見込みにとくにみるべきものある場合には、挿図として解説欄外に掲載した。
原色図版は、原寸大を原則としたが、高台は、視覚的安定をうるためにいくぶん小さめにした。
図版配列の順序は、古来知られたものを先にしたが、品等による位づけは行なっていない。
付属品および書き付けのうち、とくに重要と認められるものは、参考図版として解説欄外に掲載 した。
かなづかいは、引用文を除いて、新かなづかいとし、用字は、固有名詞、専門用語のほかは当用漢字、当用略字によった。
所蔵者名は、博物館、美術館のみを記載し、個人の所蔵者名はこれを省いた。
【解説 より一部紹介】 白天目 大名物 重要文化財 徳川美術館 寸法 高さ6.6-6.8cm 口径12.2-12.3cm 高台外径4.5cm 同 高さ0.7cm 志野にちかい長石釉の厚くかかった、天目形りの茶碗を俗に白天目と呼んでいる。近年美濃の窯跡から出土した、時代のややくだって、桃山・江戸初期と思われるものは何点かあるが、古格のあるこの類の白天目は、尾州徳川家に伝わったこの茶碗と、もと加賀前田家に伝わった白天目の二碗が知られているだけである。ともに大名物であり、重要文化財に指定されている。 白天目はわが国最古の白い焼き物で、ともに武野紹鴎所持と伝えられる。紹鴎は弘治元年(一五五五)十月二十九日、五十四歳で没しているので、それ以前の作とみなすべき茶碗である。 この手の白天目が瀬戸でつくられたか、美濃でつくられたかということは、今日まだはっきりとしていない。白天目の残片は瀬戸の朝日窯からも発見され、美濃では大萱、大平、高根、久尻のほか、かなりたくさんの窯跡から発見されているが、白天目でいちばん古いこの手の窯が、どこにあったかということはまだわかっていない。土はどうも美濃のような感じがし、定林寺ではないかという説もあるが、将来の研究・発兒にまつ問題である。 素地はざんぐりとした白土で、透明性の長石釉が厚く内外にかかり、腰以下は露胎であるよく焼けて釉薬が流下し、腰に釉薬のたまったところはほんのりとオリーブ色を呈してい る。内面は見込みがやや高く、そのまわりのわずかにくぼんだ部分に流下した釉薬が厚くたまり、おなじくほんのりとオリーブ色を呈している。内外全面に荒い貫入があり、これに茶渋がしみこんで黒かっ色になっているが、茶渋は外側より内面のほうに多くしみこんでいる。 形は口がひらき腰がすぼみ、高台のしまった建盞ふうの、俗にいう天目形りだが、中国の建盞のようなきびしさはない。とくに口作りは建盞のように引きしまっていないし、浅い削りこみのある高台も分厚で柔らかく、建盞のようにきりりとしたところがない。どこか暖かく柔らかい感じのあるのは、白天目にかぎらず、日本の陶器全休についていえる特徴だろう。 縁に厚い純金の覆輪をめぐらしてあり、白い厚い釉調との調和が美しい。 焼成は千二百五十度ぐらい、釉薬はよく溶けて膚がすけて見え、流下して腰や見込みにたまっている。焼成は還元ぎみで、釉だまりはほんのりとオリーブ色を呈し、一見黄瀬戸の淡いようにも見えるが、志野がよく焼けたと見るのが適当だろう。 袋三つ 白縮緬 茶地石畳唐物裂 紹鴎緞子 内箱 黒塗り 貼り紙書き付け「白天目武野」 外箱 春慶塗り 金粉字形「白天目 武野紹鴎所持」 もと武野紹鴎が所持し、紹鴎の子孫の武野新右衛門が、尾州徳川家に献じてより尾州徳川家に伝わった旨が、尾州徳川家蔵品台帳にしるされている。(小山冨士夫)
菊心花天目 中興名物 藤田美術館 寸法以下略 瀬戸天目の一種で、内外にわたり口縁下から胴にかけて濃い飴釉を施し、さらに口縁に流動性の黄瀬戸釉をかけたのが、内外に縞状に流れて、あたかも菊花のような状を呈したのにちなんで、小堀遠州が菊花天目の名をもって呼んだのである。 両釉の入り交じった部分は黄飴色となり、また花弁状の部分は金気釉になり、流れた飴釉は、あるいは見込みに濃くたまり、あるいは外面になだれて随所に釉だまりを見せるなど、菊花の意匠を眼目として、素朴な手法ながら釉面の変化は尽きない。口辺は天目のすっぽん口を模しているが、高台は低くて大きく、室町末期の瀬戸天目と共通の特色を示している。高台内の浅い削り出しや、高台わきの削り、土見の部分に銹び釉を塗っているのも、瀬戸天目ふうである。 菊花天目は遺品のきわめてまれなもので、現在では他に一点類品が知られているにすぎない。ただ春慶茶入れの雪柳手というのが、濃い飴釉の上から黄瀬戸釉をかけた、菊花天目と同手法に出たもので、春慶茶入れの作人春慶は天文ごろの堺の塗り師であるから、このころ瀬戸でこの種の手法の行なわれていたことが想像される。 しかし菊花天目は、遺品のきわめてまれな点から、おそらく数ものとして、好みによって特定の数だけしか焼かれなかったものではないかと思われる。すでに室町のころから、瀬戸茶入れでも、特定の数だけしか焼かない、いわゆる数のものがあったので、菊花天目もおそらくその類に属するものであろう。 それだけに古来、瀬戸天目中の珍器として賞玩され、遠州に箱書きされて『遠州蔵帳』の中にも列せられ、茶書にも特記されている。たとえば『目利草』には、「菊花天目 白天目に同じ性合、天目内に金気薬にて菊の花の模様あり、至て見事、伯庵と同じかるべきやと思ふ程なり」とあって、時代作風を白天目と同じと鑑し、釉調を伯庵と比較している。 また『名物目利書』には、「菊花天目 小堀。瀬戸伯庵を見るに等しく、内外菊花の如く薬たち、其外は黄瀬戸薬にて官入有之、艶よき色にて、白土、いづれも覆輪無之、宗甫薄茶に御用ひなされ候思召なり」とあり、これまた黄瀬戸釉を伯庵同手と見立てている。要するに菊花天目は、古来、瀬戸天目中の最上手として重んじられてきたもので、遺品のまれなことは、いっそうの声価を加えている。その最大の見どころは、もとよりあざやかな黄瀬戸地に映発する金気釉のみごとな菊花意匠そのものにあり、遠州がもって菊花天目と銘して珍重したゆえんであるが、黄と金気の鮮烈な対照美は強く目に訴えて印象的であり、中世的な幽暗に覆われた天目の世界では、きわだって特異である。その感覚には、すでに桃山的なものの曙光さえ現われ初めているともいえよう。見込みの濃い飴色の釉だまり、またすこぶる魅力的であるが、中心に石はぜ一箇所、さら に景を加えている。口縁につくろい大小二つ、縦貫入一すじ。高台内に飛び釉一ヵ所あり、高台側面にも釉だまりが見える。 伝来。小堀遠州箱書きで『遠州蔵帳』にも見え、小堀家蔵品であったが、安永四年小堀和泉守のとき同家を出て、大阪の又吉の手に移り、のち信州上田藩主松平家に伝わった。大正元年、松平家の売り立てのときに、大阪藤田家の有となり、その後、藤田美術館創設とともに同館蔵品となった。(満岡忠成)
瀬戸黒 銘 小原木 桃山時代にはじめてつくった、漆黒の釉薬の全面にかかった焼き物を、俗に瀬戸黒と呼んでいる。瀬戸黒といっても、実際には、美濃でつくったものだが、桃山時代には瀬戸と美痰との区別がなかったようである。 瀬戸黒は天正時代につくられたので、一名天正黒とも呼び、また焼きあがると真赤なうちに窯から引き出して、急冷するので引き出し黒とも呼んでいる。瀬戸黒が志野や織部ほど遺品の数の多くないのは、窯の側面にある煙出しの穴から引き出せる茶碗の数が限られており、一窯に多くて四つか五つぐらいしか焼けないためである。 小原木は作ゆきや姿がとくにすぐれ、瀬戸黒第一の名碗として古くから有名であるが、銘は、小原(大原)の山の木を一名黒木と呼ぶので、この茶碗の黒々としているところからつけたものとされている。しかし、はっきりとしたいわれはつまびらかでない。 素地は灰白色のざんぐりとした土だが、腰の露胎の部分は、焦げて淡かっ色をおびている。 内外全面に、光沢のある漆黒の釉薬がかかっているが、内面の見込みは、茶かっ色に焦げている。これは窯から引き出した時に、他の部分は急冷して黒くなったが、内面見込みだけは徐々に冷え、そのため俗に古瀬戸釉と呼んでいる、茶かっ色の部分のある釉色になったのであろう。 姿は豪快なうちにきりりと引き締まり、胴一面に太い箆目があり、瀬戸黒としては無類の作である。 胴は切り立ちにちかく、わずかに下がひろがり、分厚い口は反りぎみである。古い茶書に 「口作飯櫃、一体作能し、上作にて薄し、口に切り廻し有之」とあるように、口辺内側には篦を加えてある。腰以下は露胎だが、高台は低くて小さい。木箆でざくりと削り出してあるが、一方が分厚く、一方が薄く、大きな兜巾がどっしりと立っている。 付属物は、袋が浅黄緞子、内箱は桜溜め塗りの曲げ物、それに黄漆で「小原木」と書かれ、干利休の書と伝える。外箱は桐白木で、表に「瀬戸黒茶碗」、蓋裏に「此茶碗江戸より来る於瀬戸黒者奇妙之作也世無二者也」としるされているが、筆者は不詳である。 伝来は、もと利休所持と伝えられ、その後、江戸にゆき、ついで大阪にかえった。明治になって赤星弥之助氏が所持していたが、大正六年赤星家の入札に二万一千円で落札、益田鈍翁の有となった。戦後は益田家から出たが、瀬戸黒第一の名碗として知られている茶碗である。 (小山冨士夫)
志野 銘 卯花墻 国宝 志野随一の名碗として古くから有名なものである・卯花墻という銘は、胴に描いた鉄絵紋様を卯の花の咲く墻にみたてて、片桐石州が命名したといわれている。 素地は、俗にもぐさ土とよんでいるざんぐりとした土で、卵殻色を帯びている。この土は瀬戸にもなく、美濃でも土岐川の東側にはない独特の土で、あたたかい柔らかい感じの親しみのある土である。 形は、胴は切り立ちにちかいが、大きい箆目が上下二本あって変化を与え、口作りは俗に玉縁と呼んでいる、ぼってりとして厚みのある作りだが、厚いところと薄いところの変化の妙が美しい。また口は、一方はまっすぐにたち、一方がやや端反りぎみになっているところにも妙味がある。高台は木箆で無造作に削ってあり、だけは低いが重厚な感じがする。長石を主体とした志野釉がどっぶりと内外に厚くかかっているが、これは刷毛で塗ったものではなく、鷲づかみにして、ずばりとつけたもので、つかんだ指あとが、ありありと写真でもよくわかる。指あとと高台は露胎だが、内面は一面に志野釉が厚くかかっている。 口を上から見ると正円ではなく、むしろ丸味のある三角形にちかく、作りはおもおもしいが、じっさいには写真で見るよりはひきしまった、むしろ小服にちかい茶碗である。姿もよく、作りもよく、釉調も美しいが、この茶碗の何よりの見どころは赤く焦げた火色で、高台内素地の部分にまでよく出ている。とくに縁の火色のこれほど美しい志野は、かつて見たことがない。火色は釉薬が薄いと、素地に含まれたわずかの鉄分が焦げてできるものだが、火が甘くてもだめだし、焼けすぎても消えるもので、火加減がむずかしい。 胴の釉下に、瀬戸美濃地方で鬼板と呼んでいる鉄絵具で縦横の線を加えてあるが、もともとは垣を意識して描いたものかどうかは疑わしい。志野や織部には抽象的な紋様がいろいろとあり、紋様以前の紋様と解すべきものであろう。 卯花墻は志野第一の名碗だが、いつどこでつくられたものか、時代は作風・釉調からみて天正・文禄ごろの作と見るべきであろう。美濃で志野をつくった窯跡は可児町久々利大萱、大平、土岐市泉町久尻、高根、大富、定林寺、妻木、曽木、瑞浪市陶町大川、水上、猿爪など四十余力所に発見されているが、卯花墻をつくった窯は、美濃でいちばんいい志野のつくられた久々利大萱の牟田洞とされている。荒川豊蔵氏は牟田洞の窯跡で卯花墻そっくりの陶片を採集されており、卯花墻は天正、くだっても文禄年間に大萱の牟田洞でつくられたものと解すべきであろう。 袋 市松更紗織留 内箱 桐白木 蓋表書き付け「卯花墻」片桐石州 蓋裏「やまさとのうのはなかきのなかつみちゆきふみわけしここちこそすれ」 外箱 樫 もと江戸の豪商冬木家に伝わり、明治のはじめ大阪の山田喜之助(澱南)に譲られ、明治二十三年、室町三井家が、当時としては破格の千円で買いとったと伝えられている。昭和三十四年、国宝に指定された。(小山冨士夫)
伯庵 本歌 中興名物 『大正名器鑑』第八編には、伯庵の名碗として関戸家のこの茶碗のほか、冬木、奥田、土岐、宗節、酒井、朽木、天王寺の八伯庵茶碗をあげている。それ以外にも鴻池家伝来のものなど何点かあるが、伯庵は遺品の数の少ないもので、古来わが国の茶碗ではとくに尊ばれているものである。 その中でも関戸家のこの伯庵は、伯庵の本歌とされ、随一の名器とされている。もっこりとした形、しっとりとした釉調、同じ伯庵でも、ほかの茶碗に比べ、柔らかく、親しみがあり、とくに高く評価されているものである。 『目利草』には伯庵の七契として、なまこ薬、飛び薬、白土、枇杷色、高台の竹の節、片薄、茶だまりをあげ、また『名物目利聞書』には伯庵の十誓(十二品)として、枇杷色、生海鼠薬、しみ、高台片薄、高台縮緬絞り、ろくろ目、きらず土、茶だまり、小貫入、端反り形、(竹の節)、(飛び薬)をあげている。 高麗茶碗で井戸をとくに尊んでいるのと同じように、わが国の茶碗では伯庵をとくに尊び、そのためにこのような見どころもあげているのであろう。 伯庵は、いつどこでつくられたということが、今日まだはっきりとしない謎の茶碗である。古来瀬戸の伯庵といわれているが、瀬戸のものか、美濃のものか、それとも朝鮮のものか、はっきりとしない。 関戸伯庵の素地は、ざらっとした中に粘りのある卵殻色の土で、露胎の部分はよごれて黒ずんでいる。わずかに鉄分のある、しっとりとした釉薬が内外面にやや厚くかかり、荒い貫入が内外面にある。腰以下は露胎で、高台の内に俗に飛び釉と呼んでいる、ぽとりと釉薬のかかったところがある。 焼成は酸化ぎみで、黄瀬戸にちかい釉調だが、どこかくすんで、濁った感じである。釉色は俗に枇杷色とよぶように、淡黄かっ色を呈しているが、ぶと呼んでいる斑状に明るく赤味をおびたところがある。 造りはぼってりとしているが、縁造りは比較的に薄く、わずかに端反りぎみになり、碗形の胴を大きい高台がささえている。高台は低いが竹の節になり、底裏の削りは片薄で、まん中のうずを見ると左回りのろくろで削ってある。見込みには茶だまりもあり、伯庵七契を十全具備した茶碗である。 袋 金入色替緞子 内箱 桐白木 蓋表貼り紙書き付け「瀬戸伯庵 茶碗」小堀遠州 中箱黒塗り 面取り朱漆 蓋表貼り紙書き付け「伯庵」筆者未詳 外箱 桐白木 蓋表「瀬戸 茶碗 伯庵」筆者未詳 添え書き付け 一通 もと幕府の医官、曽谷伯庵が所持していたと伝えられ、ついで淀の稲葉家に伝わり、その後転々としたが、江戸深川の豪商、鹿島清左衛門が入手した。明治四十年、井上馨侯爵の所蔵となり、大正十四年、井上家の入札の時、三万六千円の高値で名古屋の関戸氏が落札したと伝えられている。(小山冨士夫)
【概説より 一部紹介】 天目・瀬戸黒・黄瀬戸・志野・織部・伯庵 はしがき 日本の茶碗のなかで、今日、最も声価の高いのは、長次郎焼の茶碗、本阿弥光悦の茶碗、そして志野茶碗ではないかと思う。 桃山期以来、茶人たちの数百年におよぶきびしい鑑賞の歴史を経て、いま、長次郎、光悦、志野の茶碗が脚光を浴びているわけだが、はからずもこれら三種の茶碗が、桃山の茶の湯にあざやかな足跡を残した三人の代表的な茶人、千利休、古田織部、本阿弥光悦の好みになり、またはその手で作られたものであったことは、茶の世界に彼らの残した美の作為、風流の生活が、容易ならざるものであったことを、端的に示したものといえるのではないだろうか。 そしてこのたび、本全集を編するにあたって、和陶の茶碗は四巻・五巻の二冊に収録されることになったが、今日の視点において名碗と称されるのにふさわしい作品を選んだとき、その中核をなすものは、やはり志野を中心とする美濃・瀬戸の茶碗と、長次郎・光悦の楽茶碗であった。それは、はじめに述べたような、今日におけるおおむねの茶碗観がそのまま反映したものであり、いわば長い歴史的変遷ののちに、ひとまず現代における評価がここに定まったといえるのである。 ところが、今日、これほど声価の高い志野茶碗ではあるが、それはけっして古い伝統あるものではなかった。いまから四十数年前、箒庵高橋義雄翁によって『大正名器鑑』が編さんされたとき、志野・織部・黄瀬戸の茶碗で収録されたものは、わずかに九碗、うち志野は六碗にすぎなかった。 名古屋出身の茶人箒庵が全力をあげての編著であり、名碗を求めての探索には、とうてい私どもの及ばぬ努力がなされていたにもかかわらず、そこに所載された志野は六碗であった。もちろん箒庵に志野茶碗の所在がわからなかったのではなく、それは明らかに、当時一般の好尚が志野の認識を深めていなかったことを反映したものと思われる。 志野茶碗に対する愛好が高められたのは、おそらく、昭和十一年に刊行された如春庵森川勘一郎翁の編著『志野・黄瀬戸・織部』に負うところが大きい。同書には伝世の志野十八碗が、すべて原色版で所載されており、今日における和陶志野に対する評価は、この労作によって啓発されたといえる。そしてその後、しだいに研究家、陶芸家の間でも志野は再評価され、おのずから数寄者間の鑑賞も高まって、今日にいだったのであった。 ちなみに、志野茶碗に対する賞玩のあとをざっとふり返ってみると、桃山の茶碗であるから、当時流行の作品であったことは当然だが、江戸初期以後、ことに遠州時代を過ぎると、茶碗の賞玩は明らかに高麗茶碗に偏重し、次いで利休以来の楽茶碗、さらに唐津、萩などがつづき、志野や織部に対してはあまり興味が示されていなかったように思われる。したがって、名物または中興名物にも加えられず、『遠州蔵帳』『玩貨名物記』『中興名物記』など、江戸時代の代表的な名物記にも一碗も所載されていない。そのために大名を中心とした茶数寄の場では、ほとんど顧みられることなく、これが志野の位置をいちじるしく低下させていったと推測される。 江戸時代における一般的な傾向はそうであったが、一部の数寄者、ことに町人の問では案外に愛蔵されていた。その一例として、元禄から元文ころに栄えた江戸の富商、冬木家に「卯花墻」が伝わったことが知られており、大阪の鴻池家にも数碗伝来していた。そしてまた、名古屋や京都の名のある町人の家に伝来したものもかなり多く、いわば志野は、町人の茶碗であったともいえるほどである。しかしそれとても、高麗茶碗や楽茶碗と比較すれば微々たるものでしかなかった。 また幕末の大名茶人、松平不昧の収集品のなかに、志野茶碗が三碗加わっているのも注目に価する。すなわち『雲州名物記』の「名物並之部」に位されている「志野茶碗」、本巻にも所載されている「朝萩」、五島美術館蔵の「梅ヶ香」の三碗であるが、『雲州名物記』は従来の名物記とちがって、不昧公自らの見識によって収集されたものであるだけに、志野茶碗もここにきて、少なくとも『玩貨名物記』の時代よりも認識が高まったといえるのであるが、それはおそらく公の収集が、道具商を仲介してのものであったことが反映したものと考えられる。 そしてさらに志野茶碗の存在を高め、その美しさを名実ともに認めるようになったのは、やはり現代にいたってからで、三井高保、益田鈍翁などを中心とした、数寄者の間で賞玩されるようになってからであり、一方、荒川豊蔵氏らの古志野再現への努力の積み重ねなども、大いに影響して、今日に至ったといえるのである。 本巻に所載された茶碗は、志野のほかに瀬戸天目、瀬戸白天目、瀬戸黒、黄瀬戸、黒織部、織部、伯庵などであるが、やはり主体をなしているのが志野であることから、志野茶碗の賞玩のあとを略記することによって、はしがきとした次第である。(以下略)
★状態★ 昭和47年発行のとても古い本です。 函・本体の外観は、画像ではわかりにくいですが全体に経年しみが点在、保管によるスレなど、感あり。 天小口に経年並ヤケしみあり。 扉や見開き、裏見開きなど余白ページに経年しみが見られますが、 目立った書込み・線引無し、問題なくお読みいただけると思います。(見落としはご容赦ください)
<絶版・入手困難本>オークションにも滅多に出ない、貴重な一冊です。 古本・品にご理解のある方、この機会にぜひ宜しくお願いいたします。
★お取引について★ ■商品が到着しましたら、必ず「受取連絡」のお手続きをお願い申し上げます。 ■品です。それなりの使用感がございます。 モニタのバックライトの作用により、写真画像は実際よりきれいに見えがちです。 ■絶版・廃盤、一般の書店で販売されない限定販売、 書店や出版社で在庫切れである、またはその他の理由により、 定価に関係なく相場に合わせて高額となる場合があります。 ■「かんたん決済支払明細」の画面を保存・印刷することで領収書に代えさせて頂きます。 領収書に出品者の押印がご必要の場合、「受取連絡」にて代金領収後に別送いたしますので、 取引ナビにて別途ご依頼ください。 ■PCよりの出品です。携帯フリマサイトのようにすぐにご返信はできかねます。 ■かんたん決済支払期限が切れた場合、落札より一週間以内に連絡が取れない場合、 落札者都合にてキャンセルいたします。 (ヤフオク!システムより自動的に「非常に悪い」評価が入ります。これは出品者からの評価ではありません。) ■土・日・祝日は、取引ナビでの応答・発送をお休みしております。 他に連絡・発送のできない日は自己紹介欄に記載しております。 ■万一、商品やお取引に問題があった場合は、いきなり評価ではなく、 取引ナビにてご連絡ください。 誠実に対応いたしますので、ご安心いただけますと幸いです。
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★商品の状態について★ ヤフオク!の定める基準をもとに、出品者の主観により判断しています。 以下は公式ページより選択の目安より転載します。
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